日々の御言葉 10月27日

日々のみ言葉 10月27日
○今日のタイトル 御国と栄光にあずかる
○通読箇所 1テサロニケ2章

◇今日の聖句
私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。

◇ひとくち解説
1:5で「私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いた」と述べたパウロは、その詳細を記します。
テサロニケの人々は、「激しい苦闘」(2節)「労苦と辛苦」(9節)の中で、神の福音を語り続けるパウロを、自分たちの「幼子」(7節)のように守りました。
逆にパウロも、テサロニケの教会に対し、「母親のように」(7節)また「父親のように」(11節)、自分自身のいのちまで与んばかりに愛し、神が「ご自分の御国と栄光にあずかるようにと召して」おられるという希望を与え続けました。
このように両者は親子のような堅い絆で結ばれていたのです。今は顔を見て会うことはできません。もしかしたら、地上では二度と会えないかもしれないかもしれません。たとえそうであっても「主イエスが再び来られるとき」(19節)には、再会を妨げるものはありません。その時には、互いに御前で「誇りの冠」として輝きながら、喜ぶでしょう。
私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。」(2コリント4:17)

◇クイズ
2節でパウロは、テサロニケに来る前どこにいたと言っていますか?1.コリント 2.エペソ 3.ピリピ

日々の御言葉 10月26日

日々のみ言葉 10月26日
○今日のタイトル 望みに支えられた忍耐
○通読箇所 1テサロニケ1章

◇今日の聖句
あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。

◇ひとくち解説
この手紙は、パウロの手紙の中でもごく初期に書かれたものと考えられています。テサロニケはマケドニア州の州都であり、人口10万人の大都市でした。使徒の働き17章に記されているように、パウロとシラスの働きによって3週間で教会が生み出されました。
しかしまもなく大きな迫害が起こり、その激しさのゆえに、パウロたちは生まれたばかりの教会を残して町を去らざるを得なくなってしまったのです。彼らを愛していたパウロは、テモテを派遣して様子を報告させました。この手紙は、そのような危機にもかかわらず、テサロニケ教会に信仰と希望と愛を与えて保ってくださる、神への感謝から始まります。教会が存続していること自体が奇跡であり、その姿が「すべての信者の模範」でした。
テサロニケ教会は大きな困難の中にありましたので、「御子が天から来られるのを待ち望」むことに対して、格別大きな希望を抱いていました。(1:10)パウロはこの手紙の中でキリストの再臨と、それを待ち望む教会のあるべき姿とを強調しています。
教会にとって困難は、「主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐」を育む機会となるのです。

◇クイズ
使徒17章によれば、テサロニケでパウロを自分の家に迎え入れたのは誰でしたか?1.リディア 2.ヤソン 3.ユスト

日々の御言葉 10月25日

日々のみ言葉 10月25日
○今日のタイトル よみがえられました
○通読箇所 マルコ16章

◇今日の聖句
青年は言った。「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。」

◇ひとくち解説
マルコ福音書の本来の終わりは8節であったと考えられています。あまりにも唐突な終わり方に戸惑いを覚えます。他の福音書のように、復活されたイエスが、弟子たちと食事をしたり、教えたり、奇跡を起こしたりなさいません。そればかりか、姿さえも見せられずに終わります。ただ、墓を訪れた女性たちの生々しい驚きが、物語が真実であるという深い余韻を与えます。
パウロの証言によれば、当時はまだ復活されたキリストの目撃者の大多数は生き残っていました。(1コリント15:6)ペテロはマルコを「私の子」と呼んで愛し、イエスの御生涯を繰り返し聞かせました(1ペテロ5:13)。イエスの御復活は説明の必要のないほど自明のこととして受け入れられていたのかもしれません。
マルコが伝えたかったのは、復活の証人たちを通して、イエスが今も生き働いておられるという事実でした。…今は復活されたイエスの肉体は「ここにはおられません。」(6節)しかし、弟子たちの働きを見れば、イエスが今も生きておられることは一目瞭然なのです…マルコにとっては「神の子、イエス・キリストの福音」(1:1)は、過去の物語ではなく、現在進行しつつある現実なのです。

◇クイズ
マルコによると墓を訪れたのは、マグダラのマリアとヤコブの母マリアと誰でしたか?1.イエスの母マリア 2.ベタニアのマリア 3.サロメ

日々の御言葉 10月21日

日々のみ言葉 10月21日
○今日のタイトル 終わりの日
○通読箇所 マルコ12章

◇今日の聖句
そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。…あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。

◇ひとくち解説
ソロモン王の神殿の二倍の威容を誇るヘロデ大王の神殿に見とれる弟子たちに、イエスはこの建物の崩壊を予告されます。弟子たちは、それこそ世の終わりだと思い、それがいつなのか、そのしるしはどのようなものか尋ねました。
イエスは「いつ」という問いには、直接回答なさらず、終わりの日のしるしについて語られます。実は神殿の崩壊は世の終わりではなく、やがて世界規模の苦しみがおとずれ、さらには太陽、月、星を巻き込む宇宙的な苦難があることが、次第に明らかにされます。
しかし、「神が創造された被造世界のはじめから今に至るまでなかったような、また、今後も決してないような苦難」(19節)は、「産みの苦しみ」(8節)であって、その向こうには、命が輝くのです。絶望の暗黒の中で、「人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来る」(26節)と約束されました。キリストが、神の権威をもって再び地上においでになるのです。
イエスは弟子たちに3度繰り返し、「目を覚ましていなさい」と勧められます。心の目を開いて、希望の朝を待ち望みたいものです。

◇クイズ
終わりの日の教えを、イエスはどこで語られましたか?1.神殿 2.シモンの家 3.オリーブ山

日々の御言葉 10月21日

日々のみ言葉 10月21日
○今日のタイトル 愛する息子
○通読箇所 マルコ12章

◇今日の聖句
しかし、主人にはもう一人、愛する息子がいた。彼は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に、息子を彼らのところに遣わした。

◇ひとくち解説
前章の「何の権威によって」という問いに、直接回答するのを避けられたイエスですが、12章では神の子・キリストとしての権威をもって律法学者たちに語ってゆかれます。
ぶどう園のたとえでは、ご自分こそ神の「愛する息子」の権威をもっていることをほのめかし、それを受け入れぬ人々によって「捨てられた石」となって死ぬことを暗示されました。
続いて、聖書学者たちの様々な質問に、イエスは、まるで自分の家のことを熟知している人のように、神の国について語られます。
そして、今度はイエスの方から疑問を投げかけられました。ダビデ自身が、ダビデの子(ダビデの子孫)から生まれるメシアを「わたしの主」と呼んでいるのはなぜなのか。また、メシアが主と同等の権威をもっている(右の座に着く)とはどういう意味なのかとの質問です。
これは読者への訴えでもあります。彼らはその正答に気づいていたはずです。しかし、回答を拒否したのです。しかし、イエスは、ご自分を神の子・キリストと信じる人には揺るがぬ「要の石」(10節)となってくださいます。今日も、御父の声が響きます。「これはわたしの愛する子」(9:7)と。

◇クイズ
復活を信じてもいないのに、復活について尋ねたのはどのような人々でしたか?1.律法学者 2.サドカイ人 3.取税人

日々の御言葉 10月20日

日々のみ言葉 10月20日
○今日のタイトル 枯れたいちじく
○通読箇所 マルコ11章

◇今日の聖句
ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

◇ひとくち解説
ロバに乗ってエルサレムに入城されるイエスを、群衆は王なるメシアとして迎えました。エルサレムには人々を驚嘆させる神殿の建物がありました。そこで「すべてを見て回った」(11節)イエスは「空腹を覚えられ」(12節)たのです。それは、肉体の飢えだけではなく、神としての飢えでした。「この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。人間の命令を、教えとして教えるのだから。」(7:6)と語られた通りです。エルサレムは実のならないいちじくのように不毛だったのです(エレミヤ8:13)。イエスが呪われたいちじくの木は、翌朝枯れていました。果たして、エルサレムは紀元70年ローマによって破壊され、イスラエルは長い世紀にわたる離散と迫害の時代を迎えるのです。しかし、この根元から枯れたいちじくを前にイエスは言われます。「神を信じなさい」と。(22節)エルサレムが「あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」(17節)という神の約束は不変なのです。だから「すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(24節)と励まされます。やがてエルサレムの「義が明るく光を放ち…たいまつのように燃える」(イザヤ62:1)日が来ます。そのために、「祈るために立ち上がる」(25節)人は幸いです。

◇クイズ
この日イエスはどこに宿泊されましたか?1.エルサレム 2.ベタニア 3.エリコ

日々の御言葉 10月19日

日々のみ言葉 10月19日
○今日のタイトル 神にはできる
○通読箇所 マルコ10章

◇今日の聖句
イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。」

◇ひとくち解説
金持ちの青年と、バルティマイの物語は、イエスに従うことの意味を教えています。
イエスが金持ちの青年に、あえて十戒の後半のみを示されたのは意味深長です。十戒前半の<神との関り>について、彼に「欠けていること」があると見抜いておられたのです。当時、富は神の祝福だと考えられていましたが、この人の場合、神との関係の妨げとなっていました。目に見える財産に執着した彼は、イエスに従うことができませんでした。
一方、目が見えないことは、神の呪いと考えられていました。しかし、バルティマイの心の目は開いていました。「仕えられるためではなく仕えるために」(10:45)来られたダビデの子、イエスを見ていました。このイエスに近づくために、最後の財産である上着さえ脱ぎ捨てることを惜しみませんでした。イエスが彼の肉眼を開かれると、道を進むイエスについて行きました。
エルサレムへの道が、見えない人の癒しに始まり(8:22-26)、終わることは、興味深いことです。弟子たちの心の目が開かれることを、イエスがどれほど願っておられるかを現しているようです。イエスはじっと見て言われます。「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。」(10:27)

◇クイズ
バルティマイが癒されたのは、何という町の近くでしたか?1.カファルナウム 2.ベタニア 3.エリコ

日々の御言葉 10月18日

日々のみ言葉 10月18日
○今日のタイトル わたしの愛する子
○通読箇所 マルコ9章

◇今日の聖句
そのとき、雲がわき起こって彼らをおおい、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。」

◇ひとくち解説
8章後半から、エルサレムへの歩みが始まります。その道の途上、イエスは弟子たちを教えられます。
ペトロはイエスに対し「あなたはキリストです」(8:29)と告白しますが、その意味をよく分かっていません。受難と復活を予告されてもそれを否定し、高い山でイエスの姿が輝いても、イエスをモーセ・エリヤと同列にしか見ることができません。また、律法学者や病気の子どもを持つ父親に対して、弟子たちはイエスがどのようなお方かを現すことができません。おまけに弟子たちが論じ合っていたのは、自分たちの中で「だれが一番偉いか」ということでした。このように物わかりが悪く、心の目が見えていない弟子たちを、主は忍耐強く導かれます。
● ご自分に従う道は、十字架を負う生き方だということ
● ご自分こそモーセとエリヤが指し示した<神の子・キリスト>であること
● 信頼をもって祈ることで、主と同じ御業を行うことができること
● イエスを信じる小さな者を受け入れることの大切さ
● 皆に仕える者こそが、最も偉大な者であること
弟子たちがその教えを理解するまでには、まだ時間がかかりますが、イエスは決して弟子たちを諦められません。今日も、先頭に立って招かれます。「わたしに従って来なさい」(8:34)と。

◇クイズ
今日はお休み

日々の御言葉 10月15日

日々のみ言葉 10月15日
○今日のタイトル サムエルの選び
○通読箇所 1サムエル記3-4章

◇今日の聖句
【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。

◇ひとくち解説
神のともしびが消される前」(3:3)という言葉が印象的です。聖所の灯は「絶えずともしておく」(出27:20)べき、神の臨在の象徴でした。この表現は、単にそれが夜であったことを示すだけでなく、神の臨在を失った民の心の暗夜をも表しているように感じられます。その暗闇の原因は何だったでしょう。「それぞれが自分の目に良いと見えることを」行い(士21:25)、主のことばがまれにしかなかったこと(サム上3:1)でした。
そのようなときに主は、聴く耳をもつ少年、サムエルを見いだされました。「主が来て、そばに立ち」(3:10)は、かつてヤコブやモーセも体験したことです。(創28:13、出34:5)主は、アブラハムやモーセにそうされたように、名前を2度呼んで、少年にお語りになります。――「お話しください。しもべは聞いております」(3:9)このサムエルの態度が、イスラエルに救いの夜明けをもたらしていきます。
2:35と3:20に合わせて3回、ネエマンנֶאֱמָןという語が用いられていることは印象的です。「忠実な、信頼するに足る」というこの語は、モーセの称号でもありました(民12:7、ヘブル3:5)。主は、ご自分に忠実な者を通して、暗闇に光をもたらされるのです。

◇クイズ
4章で、神の箱がペリシテ人に奪われたことをエリに知らせたのは何族の人でしたか?1.ユダ族 2.ベニヤミン族 3.エフライム族

日々の御言葉 10月14日

日々のみ言葉 10月14日
○今日のタイトル サムエルの誕生
○通読箇所 1サムエル記1-2章

◇今日の聖句
「主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。」

◇ひとくち解説
サムエル記は、サムエルの誕生物語から始まります。エルカナの妻ハンナは子どもがなく、もう一人の妻ペニンナから、苦しみを受けていました。打ちひしがれ、痛む心で祈るハンナの訴えを主は聞かれます。ついに一人の男の子サムエルが与えられるのです。このサムエルによって、祝福が全イスラエルにもたらされました。
物語は並行して、祭司エリの二人の息子についても語ります。彼らは傲慢になり、神に捧げるべき最上のものを人々から力づくで奪い取ります。その結果エリの家は祝福を失います。
この対照的な二つの物語は、ハンナの歌(2:1-10)にもうたいこまれています。同時にこの歌は、サムエル記全体の要約とも言えます。すなわち、主は、おごり高ぶる者、よこしまな者を退けられ、弱い者、飢えた者、貧しい者を、ちりあくたから引き上げ、栄光の座を継がせられるのです。主は<逆転の人生>を与えて下さるお方です。 ハンナは、まだ見ぬ「油注がれた者」、王の姿を既に信仰のまなざしをもって見つつ、希望をもって歌を結びます。(2:10)
私たちもハンナと共に歌いましょう「私の心は主にあって大いに喜び、私の角は主によって高く上がります。」と。

◇クイズ
ハンナという名前はどういう意味ですか?
1.悲しみ 2.裁き 3.恵み