1828年の今日、9月9日は文豪レフ・トルストイの誕生日です。文学者として世界的名声を得たトルストイでしたが、人生に行き詰まり自殺さえ考える時期がありました。その中で彼は、キリストの山上の垂訓を中心にした、実践的な信仰の姿に魅かれ、簡素な生活を実践し、農作業にさえ従事しました。神と他者を愛する信仰は彼にとって生きる力でした。トルストイは次のような言葉を残しています。
―最も野蛮な迷信の一つは、「人間が信仰なしで生きうるものだ」という独断に対する、現代のいわゆる学者の大多数の持つ迷信である。
―信仰は人生の力である。
トルストイはまた、明治~大正の多くの日本の文学に影響を与えました。大正期からすでに邦訳全集が出され、森鴎外、与謝野晶子、武者小路実篤などが影響を受けました。その中で、画家の中村不折が「花巻のトルストイ」と称した、一人のクリスチャンがいることを、最近私は知りました。斎藤宗次郎という人です。
斎藤宗次郎は岩手県花巻で小学校の教師をしていましたが、クリスチャンであるということで中傷を受け、ついに教師をやめなければならなくなります。(長女はヤソの子どもと呼ばれて腹をけられ、数日後に9歳で亡くなったそうです。)教師を辞めた斎藤は本屋を営みながら新聞配達をして生計をたてました。雨の日も、風の日も、雪の日も、朝三時に起きて新聞を配りに出かけました。配達の道すがら、神をたたえて賛美歌を歌い、またひざまずいて祈り、また病気の人を見舞い、困った人を助け、苦しんでいる人を慰めました。そのような宗次郎の姿に接し、町の人の心は次第に変化していきます。やがて宗次郎が花巻を離れ東京に移住する日には、町中の多くの人々が新聞配達員・斎藤宗次郎との別れを惜しみ、彼を見送るために駅に押しかけたということです。その中には、宗次郎と親交のあった宮沢賢治の姿もありました。(5年後、宮沢賢治が書いた『雨ニモマケズ』は斎藤宗次郎をモデルにしたと考える人もいます。)農村で、ひたすら信仰に生きる姿は、トルストイの生き様と重なり、「花巻のトルストイ」という称号に頷かずにはおれません。
今、わたしは斎藤宗次郎の自叙伝である『二荊自叙伝』を読んでいます。その日記のはしばしに、神を愛し、人々を愛し抜いた宗次郎の人柄がにじみ出ています。キリスト教とは、机上の学識の中にあるのではなく、生き方そのものなのだということを改めて教えられる日々です。