復興ソングさいたら節

掛声 (エンヤトット エンヤトット) 800px-Matsushima_miyagi_z
松島の サーヨー 瑞巌寺ほどの 寺もないとエー
アレワエーエ エトソーリャ大漁だエー
前は海 サーヨー 後は山で 小松原とエー
アレハエーエ エトソーリャ大漁だエー
石の巻 其の名も高い 日和山トエー
西東 松島 遠島 目の下に

斎太郎節は宮城県松島湾沿岸の民謡です。カツオ漁の大漁祝い唄として歌われてきました。東日本大震災で特に甚大な被害のあった三陸沿岸一円の漁村で親しまれていました。明日のチャペルコンサートでは被災地への復興応援歌として讃美歌と共にプログラムに入っており、子どもたちが元気に歌ってくれます。

今、歌の持つちからが注目されています。歌は歌う者と聞く者を結び付け、共感を引き起こし、慰めと希望の渦を引き起こしてゆきます。明日のささやかなチャペルコンサートが、集ってくださったお一人一人の新しい第一歩となることを心から願います。

 

↓明日のコンサートで使うさいたらぶし伴奏音源です。(SONARX1で作成)

http://player.soundcloud.com/player.swf?url=http%3A%2F%2Fapi.soundcloud.com%2Ftracks%2F26656671&show_comments=true&auto_play=false&color=ff7700斎太郎節伴奏音源 by kanmatsu1972

 

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素朴な琴~八木重吉の詩

この明るさのなかへDSC_0936

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美くしさに耐えかね

琴はしずかに鳴りいだすだろう

             八木重吉『貧しき信徒』より

秋になると味わいたくなる詩があります。八木重吉の詩は味わう人の心に秋の柔らかな光のようになじみます。八木重吉は1898年生まれ。北村透谷や三木露風などに関心をもちましたが、同時に聖書に親しみ1919年に受洗しました。後に内村鑑三の影響を受け、終生独りで聖書の勉強を続け独自の純粋素朴で敬虔な信仰生活を貫いた詩人です。1921年、兵庫県に英語教師として赴任。1922年結婚。この頃より詩作に専念し、詩と信仰生活の合一を目指しました。1925年処女詩集『秋の瞳』を刊行しましたが翌1926年、すでに肺結核第二期と診断され休職、療養しながらも詩作を続けたが1927年29歳という若さでなくなりました。冒頭の詩が収められた自選の第二詩集『貧しき信徒』は没後の1928年に刊行されました。

あまりの秋の美しさに耐えかねて、静かになりだす琴…。確かに秋にはそのような心の琴線に触れる美しさがあります。聖書には人間の魂を琴と並べて描いている詩があります。

「神よ、わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。
わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ。わたしはしののめを呼びさまします。」(
詩編57:7‐8口語訳聖書)

詩人が神の現存の美しさの前にたたずんでいたとき、心の喧噪や雑念はおさまり、静かに神へと向かいます。魂の目覚めの中で琴はしずかに鳴りいだし、今まさに日が昇ろうとする朝の空気を震わせるのです。八木重吉はしばしば、心の琴が奏でるように、イエスの名を呼び続けたことを詩の中で告白しています。

わからなくなった時は

イエスの名を呼びつづけます

わたしはいつもあなたの名を呼んでいたい

秋の気配の中で、わたしもまた心の琴で主の御名を奏でたいと願います。聖書に響く、素朴な一つの御言葉が秋の光のように胸に満ちます。

「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」(使徒言行録2:21)

 

 

 

 

 

 

 

自己を高める能動的な愛

「人間にとってもっとも貴重なひとつの心の持ち方、それが愛であることは間違いなかろう。

もう一つつけ加えれば、愛し愛されるということはたしかに素晴らしいことではあるが、

自己を高めてくれるものはあくまでも能動的な愛だけである。

たとえ、それが完璧な片思いであろうとも。」(『どくとるマンボウ青春記』より)

今週24日、(それは私の誕生日でしたが、)作家の北杜夫さんが亡くなられました。私も学生時代、「どくとるマンボウ」シリーズや「さびしい王様」シリーズなどのユーモアいっぱいな作品から『夜と霧の隅で』、『楡家の人びと』などのシリアスなものまで、読み漁りその独特の語り口に魅了された思い出があります。人間に対する深い洞察を、いとも簡単明瞭な言葉づかいで表現する文章に驚き憧れたのを覚えています。

冒頭の言葉に深い共感を覚えます。北杜夫自身はエッセイで無宗教を公言していますが、この言葉に関して言えば聖書の教える愛の姿に響きあうものを感じます。能動的な愛はアシジの聖フランシスコの精神をあらわした「平和の祈り」の中にも祈られます。「愛されるよりも愛することを求めさせてください」と。「完璧な片思い」という言葉で表された無私の愛は、まさにキリストのご生涯をあらわすのにピッタリです。

ラディスラウス・ボロシエ著の『イエスとの実存的出会い』にも「能動的な愛」がいかに自己を高めるかについて書かれているのを思い出しました。

「愛は与えることである。人格の最も本質的なもの、つまり自分自身を与えるのである。」

「愛とは存在そのものの交換である。一人の存在は相手の存在によって成り立っている。愛する人は相手を完全に自分の中に受け入れて、その人によって生きようとする。愛する人は、愛することによって自己認識に目覚めて、自分の存在を深く洞察するようになる。」

「無私無欲な愛は人が人となるための道である。人は自分の殻を捨てて献身することによって、本来の自分の姿に目覚める。自分の殻から出てきてはじめて自分を知ることができる。」

「わたしたちの課題は自分自身に帰ることではなく、自己を超越し『より偉大なもの』になることである。このため『自分を与える』ときに、人間の素晴らしさが輝き出る。これによってのみ、人間は偉大なもの、不朽なもの、真実なものを身につけることができる。」

「愛を追い求めなさい」―聖書

メンデルスゾーン オルガンソナタ第6番 ニ短調

オルガンの名手であったF.メンデルスゾーンは、当時あまり評価されていなかったJ.S.バッハを広く世界に紹介したバッハ研究家の先駆けとしても知られています。バッハのコラール(ルター派教会の会衆賛美)にもとづくオルガン曲集(1844年発行)の編纂にあたっていたメンデルスゾーンは、時を同じくして6つのオルガンソナタ集をまとめ、1845年に出版しました。オルガンソナタという名前がついていますが、いわゆる古典ソナタ形式で書かれていません。バッハの生きたバロック時代、「ソナタ」は漠然と「器楽曲」を指す言葉で、特定の形式にとらわれない、自由な楽曲をまとめたものでした。メンデルスゾーンは偉大なバッハという先輩に敬意を表しつつ、100年の意味での「ソナタ」を書いたのでした。

さて、オルガンソナタ第6番はメンデルスゾーンのオルガンソナタ集を締めくくる楽曲です。このソナタは7つの小曲からなっています。コラール”Vater unser im Himmelreich”の旋律を主題にして、変奏曲のように曲が紡がれています。このコラールは「主の祈り」を会衆が歌うための賛美歌です。M.ルターは宗教改革者として有名ですが、その改革の一環として、会衆が母国語で賛美歌や祈りを歌うことができるようにしました。ルターは「主の祈り」を会衆が歌うことができるように、当時すでに親しまれていたであろう旋律に載せて紹介したのです。(譜)

オルガンソナタ第6番はこのコラールを奏でることから始まります。それに続いて細かい音符を下敷きに浮遊するように同じコラールの旋律を歌う第二曲に入ります。第3曲はコラールの音符一つに対し3つの音符を刻みながら、第4曲は低音部で奏でられるコラール旋律に、高音部が絡みながら歌われます。5曲目は曲想が一変、トッカータ風、即興的で急速な動きの音符を、コラールがうなるようにして支えます。ソナタ全体で最も華麗な部分です。第6曲はフーガ風で、複雑に変形されたコラールが絡み合い荘厳に響きます。最後の第7曲は一転して穏やかに歌うような曲想です。メンデルスゾーンが、自分の生きるロマン派時代の口調で、自身の祈りとして歌っているような印象を与えながら、ソナタは閉じられます。

Jos van der Kooyの演奏でこのソナタを聞き直してみました。折しも、宗教改革記念日が近く、1517年ヴィッテンベルグのチャペルの扉に自らの信仰態度を明らかにしたルターの情熱に思いをはせながら聴きました。会衆の口にある祈りと賛美の貴さを改めて想いました。

説教メモ:生きることはキリスト

●「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」ガラテヤ2章19~20節

1.回心するまでのパウロrose

  • 律法によって神に生きようと努力
  • 律法が要求するハードルに挑戦>>「むさぼるな」というハードルに直面した時、倒れて失格・落伍
  • 「罪が生き返って、わたしは死にました」
  • 「永遠の命を与えてくれるものと信じ切っていた律法は、わたしを断罪し殺してしまった、」

2.すべての人間の現実=零点・無

  • 人祖アダムの子孫であり、原罪を生来的に宿している人間は、律法によっては決して義とされない
  • (人間は死の宣告を受けた時、命への激しい渇望に泣く)
  • 「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」

    ⇒死点・無において、命への転換に目覚める

3.どのように死人は復活し得るか。⇒死人の中から復活された生けるキリストに出会うこと

  • イエス・キリスト「わたしはよみがえりであり、命である。」(ヨハネ 11・25~26)
  • イエス・キリストは、人類の歴史の中でただひとり、死から復活し今も生きておられるお方、出会うことのできる神であり、救い主

  永遠の生命に生きる=イエスの神性とメシヤ性を信じ、聖霊のバプテスマにおいて、永遠の命を心に持つ。

  • 自己の内なる古き人は十字架につけられ、生けるキリストご自身が生きてくださる。
  • 全くすばらしい、新しい生活が私の内に開始される。
  • キリストの生活、キリストの公生涯の再現・延長となる

●「わたしにとって、生きるとはキリスト」フィリピ1章21節

1.「わたしにとっては、生きることはキリスト」=完全にキリストに変容されている状態。

  • 使徒パウロにおいては、まさにそれは現実であり、彼は「もうひとりのキリスト」だった
  • 使徒パウロの輝かしい使徒職の秘訣は、実にここにあった。

2.人間を御子の生き写しに再創造することこそ、キリストのあがないの目的。

3.人々が神と出会うのは、使徒の内に現存される、生けるキリストに出会うことにおいて。

花巻のトルストイ

Count-Tolstoy_Prokudin-Gorsky_R1828年の今日、9月9日は文豪レフ・トルストイの誕生日です。文学者として世界的名声を得たトルストイでしたが、人生に行き詰まり自殺さえ考える時期がありました。その中で彼は、キリストの山上の垂訓を中心にした、実践的な信仰の姿に魅かれ、簡素な生活を実践し、農作業にさえ従事しました。神と他者を愛する信仰は彼にとって生きる力でした。トルストイは次のような言葉を残しています。

―最も野蛮な迷信の一つは、「人間が信仰なしで生きうるものだ」という独断に対する、現代のいわゆる学者の大多数の持つ迷信である。

―信仰は人生の力である。

トルストイはまた、明治~大正の多くの日本の文学に影響を与えました。大正期からすでに邦訳全集が出され、森鴎外、与謝野晶子、武者小路実篤などが影響を受けました。その中で、画家の中村不折が「花巻のトルストイ」と称した、一人のクリスチャンがいることを、最近私は知りました。斎藤宗次郎という人です。

斎藤宗次郎は岩手県花巻で小学校の教師をしていましたが、クリスチャンであるということで中傷を受け、ついに教師をやめなければならなくなります。(長女はヤソの子どもと呼ばれて腹をけられ、数日後に9歳で亡くなったそうです。)教師を辞めた斎藤は本屋を営みながら新聞配達をして生計をたてました。雨の日も、風の日も、雪の日も、朝三時に起きて新聞を配りに出かけました。配達の道すがら、神をたたえて賛美歌を歌い、またひざまずいて祈り、また病気の人を見舞い、困った人を助け、苦しんでいる人を慰めました。そのような宗次郎の姿に接し、町の人の心は次第に変化していきます。やがて宗次郎が花巻を離れ東京に移住する日には、町中の多くの人々が新聞配達員・斎藤宗次郎との別れを惜しみ、彼を見送るために駅に押しかけたということです。その中には、宗次郎と親交のあった宮沢賢治の姿もありました。(5年後、宮沢賢治が書いた『雨ニモマケズ』は斎藤宗次郎をモデルにしたと考える人もいます。)農村で、ひたすら信仰に生きる姿は、トルストイの生き様と重なり、「花巻のトルストイ」という称号に頷かずにはおれません。

今、わたしは斎藤宗次郎の自叙伝である『二荊自叙伝』を読んでいます。その日記のはしばしに、神を愛し、人々を愛し抜いた宗次郎の人柄がにじみ出ています。キリスト教とは、机上の学識の中にあるのではなく、生き方そのものなのだということを改めて教えられる日々です。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

0012_r1 京田辺の田んぼでも、稲が黄金色の穂をつける季節になりました。教会のお隣の家の大きな柿の木にも、今年は柿がたわわに実っています。稲穂は豊かに実るほど、重みで穂先を垂れ、頭を下げていきます。その様子を謙虚に頭を低くする様子に例えて、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と古人は詠みました。君子は学識や徳行が深まるほど謙虚になるものだということで、地位が上がっても謙虚に生きなさいという戒めです。

聖書はイエスキリストの謙遜についてこう言っています。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

十字架に上げられる前の夜、イエス・キリストが食事の席から立ち上がり、弟子たちの足を洗われる姿は、まさに、実るほど頭を垂れる稲穂のようです。

死んでいたラザロを復活させた大奇跡の後、ご自分をとりまく大群衆の中でイエス・キリストはご自分を一粒の麦に例えてこう言われました。

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

イエスキリストのご生涯に接するとき、実りが多いほど謙虚になるというよりも、むしろ、謙遜であったからこそ実りが豊かであるととの感を強くします。十字架の死という最低の道を進まれたからこそ、キリストが人類にもたらしてくださる実りは破格なのだと思います。そうであるなら、わたしもまた京田辺の地でかく生きたいと願います。