日々の御言葉 2月28日

日々のみ言葉 2月28日
○今日のタイトル キリストの身丈
○通読箇所 エペソ3-4章

◇今日の聖句
私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。

◇ひとくち解説
1章で示された「一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」という奥義は、2章において鮮やかにあらわされました。3章では、「キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になる」(3:6)という使命のために、苦難を甘受するパウロ自身の姿と、彼の崇高な祈りとが記されています。
4章からは、「キリスト・イエスにあって…ともに同じからだに連なって」ということが、実際の生活で何を意味するのかが具体的に示されていきます。確かに私たちは、キリストのからだに連なる者とされて、約束の相続人とされました。そのことは「約束の聖霊によって証印を押され」(1:13、4:30)保証されています。その約束を、召しにふさわしく歩むことで、自分のものとして受け取っていくことが大切です。
2:10の「私たちは神の作品」が、ここでは「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する」(4:13)という言葉で言い換えられます。愛であられるキリストに連なるとき「霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着る」ことができます(4:23-24)。古い人を脱ぎ捨てて、聖霊による新創造に委ねることが、約束にあずかった者の責任です。

◇クイズ
3:1でパウロは自分のことを、キリスト・イエスの何と呼んでいますか?1.使徒 2.同労者 3.囚人

日々の御言葉 2月27日

日々のみ言葉 2月27日
○今日のタイトル 私たちは神の作品
○通読箇所 エペソ2章

◇今日の聖句
神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。

◇ひとくち解説
一章でパウロは「一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」という壮大な霊的祝福について記し、私たち(ユダヤ人)とあなたがた(異邦人)の両方が「キリストのからだ」として招かれていると記しました。
2:1-10は、ギリシャ語では長い一続きの文です。前半の1-3節では、あなたがたは「罪の中に死んでいた者」「生まれながら御怒りを受けるべき子」であったという絶望が語られます。その暗闇に4節で突然光が輝きます。「しかし、あわれみ豊かな神は」(4節)と。この「しかし」はすべてをくつがえします。絶望の暗黒は一転し、「大きな愛」に照らし出されて、<キリスト・イエスにあって…ともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました>という、この文の頂点へと至ります。この救いは、ただ「恵みのゆえに、…信仰によって」実現するのであり、「行いによるのではありません。」(8-9節)そのことを、パウロは「私たちは神の作品」と言い換えます。救いの完成は私たちの努力が創り出す作品ではないのです。
1-10節で福音の核心を一気に記したパウロは、再び「キリストにあって、一つに集められる」というテーマに戻ります。この恵みのゆえに、異邦人もユダヤ人も「キリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなる」(22節)と。

◇クイズ
2:20で、キリストは何に例えられていますか?1.石 2.水 3.光

日々の御言葉 2月24日

日々のみ言葉 2月24日
○今日のタイトル 御霊の実
○通読箇所 ガラテヤ5章

◇今日の聖句
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。

◇ひとくち解説
律法の奴隷から、神の子どもとされたということは、「自由の女の子ども」(4:31)となったということです。
こうして聖霊によって与えられた「自由」は、すべての律法が目指していた目的へと、律法によらずして導いていきます。それは「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(14節)という到達点です。
それは、肉のわざによって努力して勝ち取るのではありません。 「御霊によって導かれ」「御霊によって歩」むことで、植物が実をつけるように、自然に実るのです。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)と言われる「キリスト・イエスにつく者は」(24節)、多くの御霊の実を結びます。こうして、律法の「すべてが実現します。」(マタイ5:18)
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」(25節)「私たちはみな、…栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(2コリント3:18)

◇クイズ
5:22-23に挙げられている9つの御霊の実のうち、4番目は何?1.善意 2.柔和 3.寛容

日々の御言葉 2月23日

日々のみ言葉 2月23日
○今日のタイトル 約束の子ども
○通読箇所 ガラテヤ4章

◇今日の聖句
神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。

◇ひとくち解説
4章では、ガラテヤの人々がどのように神の子どもとされたかを思い起こさせようとします。
かつて彼らは「神ではない神々の奴隷」(8節)でした。しかし、「神は『アバ、父よ』と叫ぶ御子の御霊を」与え、キリストと連なることで神の子どもとし、相続人としてくださったのです。今また、律法の束縛に戻るということは、子としての特権を放棄して、再び奴隷の身分になるということなのだと、パウロは言います。
アブラハムに約束の子イサクが与えられたのは、人間の計画や努力によるのではなく、ただ一方的な神の恵みと、全能の力によるものでした。同様に、ガラテヤの人たちが神の子どもとされたのも、奇跡的な恵みによることでした(13節)。その幸いを放棄し、律法に依存しようとしている人々に、パウロは悲痛な思いで訴えます。「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています」(19節)と。 私たちも、神の子どもとされた恵みにとどまり続けたいものです。
この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、…ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12-13)「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。」(1ヨハネ3;1)

◇クイズ
4:22のアブラハムの二人の息子とは、イサクと誰のこと?1.エサウ 2.イシュマエル 3.ヨセフ

日々の御言葉 2月22日

日々のみ言葉 2月22日
○今日のタイトル 信仰によって
○通読箇所 ガラテヤ3章

◇今日の聖句
キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。

◇ひとくち解説
1章後半から2章まで、パウロは自分がどのようにして「キリストの福音」(1:7)を体験したのかを証言しました。その結論として「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(2:19-20)と宣言します。パウロが今生きているのは「私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰」によるのです。十字架の救いがなければ、存在しえない自分の姿を通して、ガラテヤの人々に「十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出された」(3:1)とパウロは言います。
3章で、この「私」の体験は、「私たち」の体験だと、とパウロはガラテヤ教会に語りかけます。「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました」(13節)と。アブラハムへの祝福の約束は、律法によるのではなく、イエス・キリストというただお一人の「子孫」を通して、与えられる恵みなのです。
「キリスト・イエスにあって」(26、28節)「キリストにつく」(27節)「キリストのもの」(29節)…約束の御霊によってキリストと一体となること…それが「キリストの福音」を生きるということです。

◇クイズ
24節でパウロは律法を何係と呼んでいますか?1.監視係 2.養育係 3.給仕係

日々の御言葉 2月20日

日々のみ言葉 2月20日
○今日のタイトル キリストの福音
○通読箇所 ガラテヤ1章

◇今日の聖句
キリストは、今の悪の時代から私たちを救い出すために、私たちの罪のためにご自分を与えてくださいました。

◇ひとくち解説
この手紙は、ガラテヤ地方の複数の教会に宛てた手紙です。この地方でのパウロの宣教は使徒の働き13-14章に記されています。しかしその後、教会は「急に離れて」「ほかの福音」に移っていこうとしていました。それは、かつてイスラエルの民が律法によって他の民と区別されていたように、クリスチャンも、律法を守ることで主に属するものとなるという教えでした。そのために、異邦人クリスチャンに割礼を受けることを強要し始めたのです。
パウロは深い驚きと嘆きをもって手紙を送ります。「キリストは、今の悪の時代から私たちを救い出すために、私たちの罪のためにご自分を与えてくださいました。」(4節)それ以外に福音はないのです。「キリストの恵みによって召してくださった」(6節)という以外に、私たちを罪の束縛から解放し、世から区別するものは何もありません。パウロは、どのようにしてこの福音が自分に与えられたのかを記します。「母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった(15節)」と。福音は人間によるのではなく、神の一方的な恵みによるのです。「キリストの福音」(7節)にとどまりたいものです。

◇クイズ
1:17によると、ダマスコでの回心体験の後、パウロはどこに行きましたか?1.エルサレム 2.アラビア 3.タルソ

日々の御言葉 2月17日

日々のみ言葉 2月17日
○今日のタイトル 神の熱心をもって
○通読箇所 2コリント10章

◇今日の聖句
もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。

◇ひとくち解説
一部のコリント教会の人々は、パウロが、訓練された弁論家のようではなく「素人」のような話し方(6節)であることや、「報酬を受けずに」(7節)貧しい生活をしていることを理由に、使徒としての資格を疑っていました。
ところがパウロにとっては、その弱さこそが使徒たる証なのです。かつてダマスコ郊外で、復活のキリストと出会ったとき、主はアナニアを通して「 彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを」示されました。(使徒9:16)それからまもなく迫害を受け「かごで城壁伝いにつり降ろされ」逃れた時(33節)、パウロは十字架を負ってキリストに従う道を歩み始めたのです。
23-28節では、これまでの様々な苦難が思い出されます。倒れては起き上がり進みゆく、愚かとも思える姿は、パウロの熱心というよりも「神の熱心」(2節)なのです。「キリストの愛が…捕らえている」(5:14)ゆえに、「だれかが弱くなっているときに、私は弱くなら」ざるをえず、「心が激しく痛」むのです。(29節) 使徒の価値は、華々しい成果によるのではなく、十字架のキリストとの一致の度合いによります。
キリストはご自分が歩まれた道へと弟子たちをも招かれます。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:24)

◇クイズ
11:32よるとパウロを捕えようとしたときのダマスコの王は?1.アレタ王 2.イカル王 3.クルウ王

日々の御言葉 2月16日

日々のみ言葉 2月16日
○今日のタイトル 主に推薦される人
○通読箇所 2コリント10章

◇今日の聖句
自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。

◇ひとくち解説
10章からパウロは本題に帰ります。パウロの貧しさや弱さ、見栄えの悪さから、使徒の権威を疑うコリント教会に対して、「あなたがたは、うわべのことだけを見ています」(7節)と、強い調子で語りだします。
主が自分にその権威を与えてくださったのは「あなたがたを倒すためにではなく、建てるため」(8節)だと言います。エレミヤの預言によれば「建てる」ことは主がなしてくださる新しい契約でした(エレミヤ1:10、24:6、31:27-28、42:10、45:4)。
その主の代理として、パウロは「他の人たちに先んじて、あなたがたのところにキリストの福音を携えて行ったのです。」(14節)コリント教会を建て上げた事実こそ、パウロが主から遣わされた使徒であることの見える証でした。
「誇る者は主を誇れ。」パウロはエレミヤ9:23-24を引用し、建ててくださったのは主なのだから、ただ自分の身において主があがめられるようにと願います。「自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。」(18節)

◇クイズ
今日はお休み

日々の御言葉 2月15日

日々のみ言葉 2月15日
○今日のタイトル 陶器師の手
○通読箇所 エレミヤ17-18章

◇今日の聖句
見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。

◇ひとくち解説
主はエレミヤを陶器師の家に下らせます。「陶器師が粘土で制作中の器は、彼の手で壊されたが、それは再び、陶器師自身の気に入るほかの器に作り替えられた。」(18:4)…ろくろの上にある粘土はまだ柔らかく、何度でも作り直すことができます。
主は言われます。「見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。」(18:6)そして、もし、「民が立ち返るなら、わたしは下そうと思っていたわざわいを思い直す。」(18:8)と言われます。前に「決して彼らを救わない」(11:12)「おまえを滅ぼす。わたしはあわれむのに疲れた」(15:6)と仰ったことをくつがえすような約束です。まだろくろの上にあるうちに、「立ち返り、あなたがたの生き方と行いを改めよ。」(18:11)と呼びかけられます。
もし、主が私たちを無機質な粘土とみなしておられるなら、土の塵から人を作られたお方は、いとも簡単に再創造できたでしょう。しかし、主はあくまでも私たちの自由意思を尊重されるのです。栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられるためには、「人が主に立ち返るなら」(2コリント3:15)という私たちの側の同意がなければならないのです。愛なる主の御手に全存在を委ねたいものです。「今、主よ、…私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。」(イザヤ64:8)

◇クイズ
17:1で「心の板」に刻まれているのは何?1.契約 2.掟 3.罪

日々の御言葉 2月14日

日々のみ言葉 2月14日
○今日のタイトル エレミヤの苦悩
○通読箇所 エレミヤ15-16章

◇今日の聖句
見よ、わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、わたしの手、わたしの力を知らせる。そのとき彼らは、わたしの名が主であることを知る。

◇ひとくち解説
エレミヤの葛藤が続きます。神から託された裁きのメッセージは、容赦のないものでした。それゆえ民はエレミヤを迫害します。民のためにとりなすエレミヤですが、主は祈りに応えられないように見えました。
エレミヤはこの過酷な召命を与えられた主に苦悩を訴えます(15:18)。神と民の間に板挟みになって苦しむエレミヤに、主は言われます。「もし、あなたが帰って来るなら、…わたしの前に立たせる。…あなたはわたしの口のようになる。」(5:19)エレミヤが立つべき場所は、民の側ではなく、あくまで神の側であると。
孤独のエレミヤに、主は1章と同じ召命のみことばを与えられます。「わたしがあなたとともにいて、あなたを救い、あなたを助け出す」(15:20)。そして16章後半では、裁きの向こうにある祝福を垣間見せられます。それはかつての出エジプトをはるかに凌駕する救い(16:14-15)でした。主の憐れみを見たエレミヤは信仰を振り絞って告白します。「主よ、私の力、私の砦、苦難の日の私の逃れ場よ。」(16:19)…その信仰に呼応するように主は究極のゴールを見せられました。「彼ら(イスラエルと異邦人)は、わたしの名が主であることを知る。」(16:21)
たとえどんなに苦悩に満ちた召命であっても、十字架を負って主に従いたいものです。

◇クイズ
15:1で執り成す者の代表として挙げられているのはモーセと誰?1.エリヤ 2.サムエル 3.ダビデ