日々の御言葉*5月31日

日々の御言葉 5/31
○今日のタイトル:イスラエルの選び
○通読箇所:ローマ9章

◇今日の聖句*****
わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。

◇ひとくち解説*****
9章から11章まで、パウロは「イスラエルの救い」という大切なテーマについて記します。8章の最後で「神の愛から、…引き離すことはできない」と謳ったパウロでしたが、ここでは、イスラエルのためなら「キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよい」と言います。
ここで「見捨てられた者」は「アナテマ」(滅び、呪い、追放)という強い言葉が使われています。パウロがこう言うのは単なる同胞愛からではなく「聖霊によって」(9:1)なのです。
人類への愛のために呪われたものとなり「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と叫ばれた十字架の御子イエスの姿と、パウロは一つとなったのです。

◇クイズ*****
20-21節では、神は何にたとえられていますか?
1.羊飼い 2.焼き物師 3.種を蒔く人 4.金を精錬する人

<聖書リンク>https://www.bible.com/ja/bible/81/ROM.9.ja1955(口語訳)

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日々の御言葉*5月30日

日々の御言葉 5/30
○今日のタイトル:神の愛
○通読箇所:ローマ8章

◇今日の聖句*****
わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。……だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。……しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

◇ひとくち解説*****
7章では、わたしたちを悩ませる罪について記されていましたが、8章では一転、勝利の賛歌へと変わっていきます。「キリストが…内におられる」(8:10)ことが、わたしたちを罪と死との法則から解放し、「御子の姿に似たもの」(8:29)へと変える希望の源です。「御子をさえ惜しまず死に渡された」(8:32)神の愛があるかぎり、この希望を何者も妨げることはできません。
もし、自分の罪深さ、弱さを示され、自分など神から捨てられたのだと、疑いをいだくようなことがあるなら、また、将来について言いしれぬ不安があるなら、いつでもこの章を読み返しましょう。そして、どんな現実を前にしても、「神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない!」と愛の内に留まり続けましょう!神は愛なり。

◇クイズ*****
1431年の今日5月30日は、神の声を聞いて祖国のために立ち上がり、多くの人に勇気と希望を与えた一人の女性が、火刑によって亡くなった日です。その女性とは? 1.アン・ベイリー 2.ハンナ・セネシュ 3.ジャンヌ・ダルク 4.デボラ

<聖書リンク>https://www.bible.com/ja/bible/81/ROM.8.ja1955(口語訳)

日々の御言葉*5月29日

日々の御言葉 5/29
○今日のタイトル:義の奴隷
○通読箇所:ローマ7章

◇今日の聖句*****
わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。……そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。……わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。……わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。

◇ひとくち解説*****
まるでレントゲン光線が病巣を暴き出すように、聖霊の強い光を浴びる度に、わたしたちの心に根強く残る罪が示されます。この聖霊の光の前では、模範的と思われていたパウロでさえ「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」と叫ばざるをえませんでした。しかし、その光は絶望をもたらすためではなく、ゆるし、癒やすためなのです。
自らの惨めさを知ることは、私たちの成長には欠かせないことです。けれども、自分の弱さに一瞥をくれたなら、即座にその眼差しをキリストへと向けましょう。こんなわたしをさえ愛し、赦し、必要とされるお方を仰ぎ見ましょう。自分を手放したとき、キリストが全てとなって下さるのです。

◇クイズ*****
「パウロ」という名前はどんな意味?
1.偉大な者 2.小さい者 3.恵み深い 4.平和の人

<聖書リンク>https://www.bible.com/ja/bible/81/ROM.7.ja1955(口語訳)

日々の御言葉*5月28日

日々の御言葉 5/28
○今日のタイトル:義の奴隷
○通読箇所:ローマ6章

◇今日の聖句*****
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。……罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

◇ひとくち解説*****
4-5章で、信仰と恵みによる救いが宣言されました。では、「赦し」という恵みがあるのだからわたしたちは律法に背き、罪を犯しても良いのでしょうか?「決してそうではない。」(6:15)とパウロは否定します。救いにあずかったわたしたちは、キリストの十字架に一つとされて古い自分に死に、キリストの命に生きる者とされたのです。決して罪の奴隷へ逆戻りしてはなりません。
わたしたちは義<キリスト>に仕える義の奴隷となったのです。わたしたちを束縛するのは律法でもなく、罪でもありません。私たちを愛し、死んでくださったキリストの十字架の愛が、わたしたちの心を捕えるのです。

◇クイズ*****
5章でパウロは、キリストと「ある人物」を比較して、キリストが恵みをもたらしてくださったと記しています。ある人物とは?
1.モーセ 2.アダム 3.ダビデ 4.ヨシュア

<聖書リンク>https://www.bible.com/ja/bible/81/ROM.6.ja1955(口語訳)

日々の御言葉*5月26日

日々の御言葉 5/26
○今日のタイトル:約束
○通読箇所:ローマ4章

◇今日の聖句*****
死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。

◇ひとくち解説*****
3章で「人が義とされるのは…信仰による」(3:28)と結論づけたパウロは、その実例としてアブラハムを挙げます。アブラハムは「希望するすべもなかったときに」望みをいだいて信じ、そのことによって義と認められました。
すべてが順調に進んでいるときに「信じます」と言うことは簡単です。けれども本当に信仰が必要とされるのは、希望のかけらも見いだせない暗闇の中にあるときなのです。そのような時、「神は愛であって、わたしに対してすばらしい約束の計画を持っておられる」と信じることのできる人は幸いです。それは、単なる楽観主義とも、やせ我慢とも違います。内におられるキリストが「与えて下さる」恵みなのです。

◇クイズ*****
この章で、アブラハムと共に「行いによらずに神から義と認められた人」としてあげられている人物は?
1.モーセ 2.ダビデ 3.サムエル 4.エリヤ

<聖書リンク>https://www.bible.com/ja/bible/81/ROM.4.ja1955(口語訳)

日々の御言葉*5月25日

日々の御言葉 5/25
○今日のタイトル:信仰による義
○通読箇所:ローマ3章

◇今日の聖句*****
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

◇ひとくち解説*****
1章の後半から「罪」について書いてきたパウロは「正しい者はいない。一人もいない。」と、断言します。すべての人が「救い」を必要としていると訴えます。
しかし21節から、その有罪判決は、逆転無罪判決へとくつがえります。「人類の必要」がイエス・キリストによって完全に満たされたのです。「キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされ」る救いの道が開かれました。神の栄光を受けられなくなっていたわたしたちを、神の似姿にまで回復するために、十字架の上でどれほどの代価が支払われたか考えましょう。
この恵みを受け取るためにわたしたちがすべきことは「イエス・キリストを信じること」だけです。「信じる」ということは、ただ「理解する」ということはありません。全面的に信頼して委ね、一つとなることです。今日、主が与えて下さった恵みを、信仰によって受け取ることができますように。

◇クイズ*****
「罪を償う供え物」(25節)と訳されている言葉は、神殿の中の「贖いの座」を示す言葉としても使われていました。「贖いの座」はどこにありましたか?(出エジプト25:17参照) 1.祭壇 2.洗盤 3.契約の箱 4.門

<聖書リンク>https://www.bible.com/ja/bible/81/ROM.3.ja1955(口語訳)

日々の御言葉*5月24日

日々の御言葉 5/24
○今日のタイトル:ユダヤ人と律法
○通読箇所:ローマ2章

◇今日の聖句*****
外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。

◇ひとくち解説*****
1章の後半から3章の半ばまで、パウロは「罪」について書いています。
異邦人も、被造物や良心を通して神を知ることができる以上、律法をもたないことを罪の言い訳にすることはできないこと。
ユダヤ人も、律法を与えられて、「何をなすべきかをわきまえて」いるにも関わらず、それを実行できていないとすれば、意味がないこと。
つまり、人類は「皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなってい」る(3:23)とパウロは指摘します。「割礼の有無(ユダヤ人であるか異邦人であるか)は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。」(ガラテヤ6:15)
わたしたちも、聖霊を受け「霊の割礼」を心に受けているのですから、「絡みつく罪をかなぐり捨てて、…走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブライ12:1-2)

◇クイズ*****
ユダヤ人退去命令でローマからコリントに移り住み、そこでパウロと出会い協力者となった後、ローマに帰ってローマ教会の中心になった夫妻の妻は誰?(ローマ16章) 1.ルフォス 2.フェベ 3.プリスカ 4.ユリア

<聖書リンク>https://www.bible.com/ja/bible/81/ROM.2.ja1955(口語訳)