素朴な琴~八木重吉の詩

この明るさのなかへDSC_0936

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美くしさに耐えかね

琴はしずかに鳴りいだすだろう

             八木重吉『貧しき信徒』より

秋になると味わいたくなる詩があります。八木重吉の詩は味わう人の心に秋の柔らかな光のようになじみます。八木重吉は1898年生まれ。北村透谷や三木露風などに関心をもちましたが、同時に聖書に親しみ1919年に受洗しました。後に内村鑑三の影響を受け、終生独りで聖書の勉強を続け独自の純粋素朴で敬虔な信仰生活を貫いた詩人です。1921年、兵庫県に英語教師として赴任。1922年結婚。この頃より詩作に専念し、詩と信仰生活の合一を目指しました。1925年処女詩集『秋の瞳』を刊行しましたが翌1926年、すでに肺結核第二期と診断され休職、療養しながらも詩作を続けたが1927年29歳という若さでなくなりました。冒頭の詩が収められた自選の第二詩集『貧しき信徒』は没後の1928年に刊行されました。

あまりの秋の美しさに耐えかねて、静かになりだす琴…。確かに秋にはそのような心の琴線に触れる美しさがあります。聖書には人間の魂を琴と並べて描いている詩があります。

「神よ、わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。
わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ。わたしはしののめを呼びさまします。」(
詩編57:7‐8口語訳聖書)

詩人が神の現存の美しさの前にたたずんでいたとき、心の喧噪や雑念はおさまり、静かに神へと向かいます。魂の目覚めの中で琴はしずかに鳴りいだし、今まさに日が昇ろうとする朝の空気を震わせるのです。八木重吉はしばしば、心の琴が奏でるように、イエスの名を呼び続けたことを詩の中で告白しています。

わからなくなった時は

イエスの名を呼びつづけます

わたしはいつもあなたの名を呼んでいたい

秋の気配の中で、わたしもまた心の琴で主の御名を奏でたいと願います。聖書に響く、素朴な一つの御言葉が秋の光のように胸に満ちます。

「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」(使徒言行録2:21)

 

 

 

 

 

 

 

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投稿者:

聖イエス会福音教会

福音教会牧師室より

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